www.woodpecker.me 更新日=2014-3-11
採集の動機
 中学後半から始めた蝶の蒐集はその後長く続いた。いまでも旅行や山間部にいくときは捕虫網と三角紙を持っていくことが多い。この蝶蒐集は弟が始めたものであり、大学時代までは一緒に採りに行ったものだ。父と同じく体操をやっていた弟は大車輪もできるほどなのに、私は逆上がりもできない。その運動神経の差は収穫量の差になって現れる日々だった。釣りも弟につられて後についていったものだが、せっかちな性格に合わず長続きはしなかった。 <2005.7>

採集した蝶
大雪山の高山蝶
 蒐集でとくに挙げるとすれば、大雪山で採った高山蝶であろうか。来年から国立公園内は採集禁止になる大学二年の1962年、高校の友人A.K氏と大雪山・白雲岳に四日間籠もり採集した。東京から飛行機で来て、採集してからまたその日のうちに飛行機で帰る大手建設会社の重役と話をしたのが印象に残っている。
 採集を終えて黒岳に移動したが、その夜旭岳でヒグマに襲われたパーティが命からがら逃げてきたのが未だに忘れられない。もともと「山に入るときはむすびをいくつか用意し、それを道にばらまきながら熊がそれを食っているうちに逃げよ」なんてまことしやかに言われていたのだが体験して納得した。
 高山蝶の白眉であるウスバキチョウはウスバキの幼虫はコマクサしか食べない。このコマクサもパセリのような葉が一年に一つしか生えないという貴重なものだ。クモマツマキチョウを採りたかったがチャンスなし。ほとんどの生息地は国立公園で採集禁止。

ゼフィルス

 日本には多くのゼフィルスがいる。シジミチョウの仲間で、表にモルフォ蝶のような光の回折によって生み出された緑色から空色の金属光沢がある。>クヌギ、ブナ、ミズナラ、カシワなどの梢を飛び、6月から7月しか見られないので、一般の人たちが眼にする機会はほとんど無い。
 蝶の中でこの種類だけを集めている人たちがいる。真冬に、眼を皿のようにして必死に上記の樹木の樹皮を見つめている人がいれば、樹皮に生み付けられた直径1mm程度のゼフィルスの卵を捜している粋人と思って間違いない。


■高山蝶
 ウスバキチョウ、アサヒヒョウモン、ダイセツタカネヒカゲ、クモマベニヒカゲ、ベニヒカゲ、ミヤマモンキチョウ等。前者三種は私が採集した1964年の翌年から全面禁止となった。今でも、TV番組などでウスバキチョウの姿をみると感慨ひとしお。
■アゲハチョウ(1)
 大形で派手なよく目に付く種類である。それにしては採集数が少ない。ありふれた物には目もくれないという蒐集家の性であろう。
 日本ではありふれたキアゲハが欧州では垂涎の的といわれるから蒐集癖とは面白いものである。
■アゲハチョウ(2)
 仙台郊外で何年かにわたって採集したヒメギフショウ。ウスバサイシンなどごくわずかの食草で生き延びている。
 後年訪れた採集地は一面の住宅地になっていて、この地区では絶滅。
ギフチョウは中津川渓谷で採ったたった1頭だけ。
■シロチョウ(1)
 地域偏差などを調べている人は除いて、どこにでもいるモンシロチョウ、キチョウ、モンキチョウは採集意欲が湧かないものである。
■シロチョウ(2)
昔はキャベツ畑で乱舞していたものだ。農薬が広く使われるようになってからとんと姿を消した。蝶が減り、その幼虫が減り、それを捕食する鳥や虫が減り、そして.........
■タテハチョウ(1)
 右上は国蝶のオオムラサキ。飛翔力も強く大きいので、時に鳥に間違われるぐらいである。中程の大きな個体は雌で紫の干渉色もなくて地味である。
■タテハチョウ(2)
 種類も多く、美麗な種が多い。羽に比べて胴体が太く、飛翔力に優れる。蝶のなかでは最も進化した部類に入る。
■ヒョウモンチョウ
 表は”豹”の紋のようであるから、ヒョウモンチョウ。裏のほうが銀色の丸玉模様などがあってかえってきれいである。
■ヒョウモンチョウ+ヒカゲチョウ
 ヒカゲチョウは地味で名のごとく日陰に舞うことも多いが、日向も好きである。中でもコノマチョウ類が大きくて立派であるが、採っていない。
■ヒカゲチョウ+ミスジチョウ
 三本の筋が入っているのでミスジチョウ。右端の二筋の種はフタスジチョウ。
 コミスジは都心でも見かけるほど普通。
■シジミチョウ(ゼフィルス)
 左のウラクロシジミは仙台郊外泉に大発生していたものである。裏が黒いのでそう命名されたが、表はまさに真珠の輝きをもっているので、シンジュシジミとでも命名するべきであったと思う。
 このゼフィルスだけを蒐集しているマニヤがいる。冬山に1mmにも満たない卵を捜したり......
■シジミチョウ
 左から3,4列目はチョウセンアカシジミ。岩手県岩泉に弟と2泊して取りに行ったものだ。なつかしい思い出である。
 トネリコが食樹。局地的にしか発生しないから、今の現地はどうなっているやら....

■セセリチョウ
 都会でも良く花に群がっている。地味なのであまり好きな人は少ない。蝶と蛾の中間に位置する特徴を持ち、蛾に分類する学者もいるくらいである。  右から4列目のアオバセセリは私の知る限り最も速く飛ぶ蝶である。 それと知らなければ目の前を飛び去ってもおそらく気がつかない。
■甲虫類
 蝶はごくわずかの例外を除き、曇りでは姿を現さず、雨ではもってのほか。遠くまで遠征してもそんな天候では全く収穫がない。 そんなときは、花をすくって花カミキリやその他の甲虫を捕るしかできない。愛情がないから、整理の仕方も見てのとおり。
■アメリカで採集
 1973年8月から1年間サンフランシスコ郊外・マウンテンビューに滞在。北米はもともと蝶類は少ないのだがそれにしても努力したにも拘わらずこれだけとは。

■おわりに
 種類がまぜこぜになっている箱もあるので整理しないといけない。開けると湿気が入るので冬の乾燥した日にしよう−−−2006年末、整理した。

高山蝶の譲渡  齢70を過ぎてから、終活を考えるようになった。私がいなくなったら家人は蝶の標本も捨てるだろう。だったら、他人の役に立てられないかと昆虫を売買している商店に電話してみた。特に大雪山で採集した高山蝶三種は、私が採集した1964年を持って採集禁止となったので、貴重である。回答は「標本が合法的に採取された証明がないと取引できない」との事だった。考えてみれば当然である。

 そこで公の博物館に寄贈しようと考えたが、電話での回答は同じ理由で拒絶だった。公の施設であるが故に、法律を犯すことはより厳しく糾弾される。せめて、採集禁止になる前の1964年に採取された事が証明できれば少しは道が開けるかもしれないが、採集記録は火事で失って手にはない。

 大学を卒業し、下宿先から全ての荷物を実家に送った際、一旦母の友人宅に預けた。その晩友人宅が火事になり全焼した。ただ、蝶の標本だけは引っ越しの扱いで破損することを恐れて、手に持って帰っていたのである。勤め会社での仕事は大学で習得した学問がそのまま活かせる分野だったので、一切の教科書、参考書、ノートを失ったのは痛かった。

 自作した短波受信機、オーディオアンプ、生まれてからこの方の思い出写真、など”物”は全てを失って、手元に残ったのは蝶の標本だけ。そして、その蝶の標本の行き先は未だ見つかっていない。
   <2020-6-7追記>


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